ken-ken-kenのブログ

多発性骨髄腫の再々発治療をしております。コメント欄再開しました。どうぞお手柔らかに。

アナタがいないと思うこと淋しい

今日から妻は

2泊3日の福岡旅行


福岡旅行といっても

次女を引き連れ長女の生活態度チェック・部屋の片付けをしにいくとのこと


なんて社会人にもなって

どれだけあまえてるんだ⁉︎

と思うのがオレが男で、いちいち親に干渉さたくないからだろうか


まあ、束の間の母子3人

7、8年までオレが家族に入れてもらうまでは

それが当たり前だったろうし

妻は、二人の成長具合を

肌で感じることができるはず


トラブルや、事故がなきことを

オレはベッドから

祈るばかりであります


あぁ、福岡に住んでいた時に食べた

カレーの二重丸の

トンカツ+ウズラ揚げ+温玉のせ

のセットをたべたいなぁ…

近況〜その2

カイプロリスの治療後、説明を受け

いろいろ考えました


緩和ケアに入り痛みを和らげながら

“その時”を待つのか

別の治療かあれば、それを選択するのか?

どちらにしても、大きな問題は経済的事情


別の治療というのは

今までの抗体薬ではなく

移植した前にしていた抗ガン剤治療でした

何種類かの抗ガン剤とステロイドを5日連続して投与して、2、3週間様子を見る

というもの


たまたま、体調不良が激しく

注意項目の赤血球と血小板の数値が

緊急入院を要する状態だったので、

あれよあれよとコトが進む


因みにこのコトで

予め万全の対応をしていた妻は本当に凄い!


令和の連休の兼ね合いもあり

約1ヶ月半の入院でした

副作用は当然あり、同種移植の時よりもしんどかった気がしました


今度は5月末からにかけての入院治療だけど

大学ではそんなレベルの治療は他所にまわす

というスタンスらしく、

他の病院で治療することに…


そりゃ、この末期まで面倒見てくれてて

改善の兆候がないとみるやポイ捨てという

被害者妄想も生まれます

あと1週間遅ければ死んでいたはずが

大学病院史上初パターンの骨髄移植

→再発早過ぎ、失敗作…というレッテル


7年間も生きて普通の余後3〜5年も過ぎたんだから、もういいでしょう、あなたは


なんて事が地方版白い巨塔内で

起こってるんだろうなぁ

まだまだ若手のY先生や、N先生は

その板挟みなんだろうね


脱線しましたが

次の入院先はあと1週間遅ければ…とおっしゃったK先生がいる病院

少しでも、知った人がいないと不安もあるし

Y先生、N先生よりも年配で経験もありそうだから、ある意味セカンドオピニオンです


5月31日から入院してますが、

徐々に病院にも慣れてきております


そろそろ明日から

副作用が出てきそうな感じです

ぼちぼち流れに身をまかすしかないですね…




そういえば、青木篤志選手、R.I.P…

近況

年明けの1月16日に

カイプロリスというクスリを使った治療の為、入院しました


オレのカラダの表面にには

顔、頭、背中を始め

いわゆる腫瘍があちこち増えてきて

誰がみても何かできものがある

という状態


カイプロリスは

もともと心臓に負担がかかる

という病気らしく

自分もそこに該当しました


心不全


妻が言うには顔から先から手のひらから

パンパンになり


息が荒くなり

自分で呼吸するのもやっとの状況でした


迅速な対応がこの命を救ってくれました

それにしても自分のベッドの周りの先生、ナースさんの数は移植をした時より多かった気がしました


その甲斐あって、

幸いにも一命を取り戻した訳ですが

一応CT撮影をするまで時間ができました

この時には既にいつもより息苦しい程度の状態

改めてわかったことは

ベッドに乗ったまま


いくつか考えました


Y先生、オレが本当にもう死ぬならタバコすっていい?


三途の川の川岸すら見えなかったし

オレを呼ぶ声なんて聞こえなかった

ましてや誰もでてこなかった


本当に死ぬときはこうなのかなぁ?


ただ、この時のにはかなりトラブルというか、イライラすることが多発して

なんのために入院したんやろ?

って感じでした


退院後もほとんど横になって

洗濯物の片付けすらしんどくてなる状況

その上、直前の入院の意味を見いだせないままの退院だったので、精神的にも

かなり落ち込んでました


近いうちに続きを更新します{たぶん(苦笑)}